川崎フロンターレで活躍中の三笘薫選手。イケメンであること、その特徴的なドリブルが話題です。
高校時代からすでに注目されていたのに、プロ入りせず大学へ進んだ三笘選手がどんな理由で進学したのか。
今後の年俸や海外の反応、評価について調べました。
三笘薫選手がイケメンな理由。出身と経歴について
イケメンなのは九州生まれだから
大学時代のブログ記事を見たところ三笘薫選手は大分県で生まれ、その後神奈川県に引っ越してきたそうです。三笘薫選手はよくイケメンと言われますが、九州出身の男性は確かに顔立ちの整った方が多い印象があります。
三笘薫選手の経歴
鷺沼市には「フロンタウン鷺沼」「カッパーク鷺沼」という施設があります。フロンタウンの方は人工芝が整備されていて水はけがいいことから、フットサルクラブがよく利用しているそうですよ。(今はコロナの影響もあり、状況が変わっているようです)
これまでの経歴は川崎フロンターレ公式サイトの「所属チーム経歴」を参考にお話ししますね。
東京ヴェルディスクール、さぎぬまサッカークラブ、川崎フロンターレU-10、川崎フロンターレU-12(鷺沼小)、川崎フロンターレU-13、川崎フロンターレU-15(川崎市有馬中学校)、川崎フロンターレU-18(橘高校)のあと筑波大学へと進み、現在に至ります。
参考サイトhttps://www.frontale.co.jp/profile/2020/mem_18.html
三笘薫選手はさぎぬまサッカークラブの前に「東京ヴェルディスクール」というところに通っていたといいます。調べたところ、鷺沼市から車で片道30分ほど離れた場所にあり、入会は幼稚園年中クラスから受け付けています。
英才教育と言う面もあるでしょうが、ヴェルディスクールのモットーは「人間性をはぐくむこと」とあります。スポーツは勝ち負けがはっきりしていますからミスをして悔しさや怒りをにじませる場面がでてきますが、感情のコントロールや仲間を気遣うことがもっとも大切だと考えているんですね。
公式プロフィールにも試合中気をつけていることとして「冷静でいること」とあるので、冷静さを保つことの大切さを東京ヴェルディスクールで知ったのではないでしょうか。
兄の影響でサッカーを始める
そしてサッカーを始めたきっかけが「兄」と答えていますので、ヴェルディスクールに通い始めたのも三笘選手本人の意向によるものかもしれません。
幼稚園年中さんの弟に「かっこいい!」と思わせるくらいですから、きっとお兄さんもいきいきとプレーしていたのだとおもいますよ。
さて、さぎぬまサッカークラブは川崎市創立の伝統あるサッカークラブで、関東大会ベスト8に食い込んだことがあると言ったらどれくらいすごいか想像がつくと思います。
日曜日に試合があるので、小学校時代の三笘薫選手にとっては自分の周りすべてにサッカー関連の施設や環境があるという、最高の状態が用意されていたと言えますね。
三笘薫選手の中学と高校はどこ?大学進学したのはなぜ?
三笘薫選手の中学は?
三笘薫選手の出身中学は有馬中学校です。鷺沼小学校から自転車で6分ほどの距離なので、あまり通学の負担はなかったのではないでしょうか。
三笘薫選手の高校は?
中学卒業後は川崎市立橘高校へと進学しますが、その後の進路から考えるとスポーツ科に推薦で進んだと考えてよいでしょう。
橘高校は種目ごとに専用の体育館が用意されていますし、入学時の検査で柔軟性や身体の特徴などを教えてもらえるというスポーツ特化型の面もあります。
高校に通いながらU-18で活躍していた三笘選手には当然プロ昇格への道が開かれていましたし、声もかかっていました。そんな中で三笘薫選手は筑波大学へと進学します。
大学進学の理由
本人は「高校卒業してすぐにプロでやっていく自信がないから」と伝えていますが、実際の所は筑波大学での練習に好印象をもっていたこと、将来を見据えて大学で学びたいと思ったことのほうが大きな理由と考えられます。
驚いたのは高校生の時点で「サッカーは現役時代よりそれ以降の時代の方が長い」と冷静に判断していることでしょう。早くプロ入りしてガンガン活躍して海外に出るというガツガツした感じではなく、現実的なキャリア形成を見据えていました。
筑波大での生活
筑波大学の体育専門学群で理論を学びながらサッカーに打ち込んでいた三笘薫選手は、1年時にインカレ優勝へと貢献しました。2年時にはユニバーシアード大会、関東リーグ1部優勝だけでなく天皇杯で見せた圧倒的なプレーで2得点をとり、注目を浴びました。
3年時にももちろんとんでもない活躍を見せていました。
ゴールに背を向けた状態でボールをトラップし、(次の動作につなげていくようにボールを受け止めコントロールすること。完全に止めてしまうのはストッピングといい、別物)ゴールに向かう途中でディフェンスに遮られながらも強風を利用したループシュートを決めます。
しかもゴールキーパーがラインのあたりに出ていることを瞬時に確認して決めたシュートですからその判断力の速さは恐ろしいばかりです。(ライン内側にいてネットの近くにいたとすれば、ループシュートは防がれてしまいます。三笘選手にとっては最大のチャンスだったのですね)
大学蹴球部のブログ(2019年当時)を見ると、ユニークなチームメイトに恵まれてわきあいあいとプレーする三笘選手のおちゃめな横顔も見えてきます。
自分を出すと周囲の目が気になるけど、サッカーなら自分を思いきり表現できると言切っています。大学4年間は三笘選手にとって実り多い時間だったと言えますね。
三笘薫の年俸はいくら?2021年はどうなる?
ルーキーイヤーの年俸は
三笘薫選手はデビューした2020年はルーキーイヤーと言うことで460万円の契約でした。新卒選手の結ぶ契約でプロC契約と言うものがあり上限金額が480万円となりますが、ほぼ上限額いっぱいの金額ですよね。三笘選手がデビュー前から非常に期待されていたということです。
年俸がアップした理由
翌年2021年にはいきなり2000万円まで年俸が上がりました。これは川崎フロンターレが2021年、天皇杯とJ1で優勝したという快挙にたいしてのことです。
天皇杯では試合開始55分で三笘選手が1得点得たことでうまく逃げ切れたので、彼の功績はめちゃくちゃ大きかったんですね。
非常に謙虚な人だと聞いていますが、インタビューを見るとチームメイトに対して人なつこさも感じられる方のような気がします。
きっと抜群のチームワークで今年、来年と大活躍するでしょうし、さらなる年俸アップも考えられるでしょう。
現在は2000万円ですが、2500万、4000万円まで上がるのもそう遠くない話ではないでしょうか。
川崎フロンターレの三笘薫選手の年俸は?2000万円に上がった理由!
三笘薫選手のプレーと海外の反応
三笘薫選手のドリブルがすごい
動画を見ると、ちょいちょいとボールをけりながら相手をどんどんかわしていくスタイルから大きいストライドでの脚の運びなど相手選手をひたすらほんろうしています。
パスする時もさりげなく蹴りだしたあと、すぐゴール前にサッと移動するその足には力みが感じられず、しなやかなうごきにはただ圧倒されるばかりです。
三笘選手のプロフィールに、自宅でサッカーを観てトレーニングしているとあるのでおそらく海外サッカーの試合を見てイメージトレーニングしていると考えられますね。
海外の反応
Transfermarktというサッカー選手の市場価値を掲載したサイトがあるのですが、三笘選手は160万ユーロ、日本円にして2億200万円といわれています。
現在のところ三笘選手の記事が話題になっているという話は多くはないようです。
しかし今はDAZNなどで各国のサッカー選手の情報が見られるので、近いうちに三笘選手に関する記事が外国でも出てくると考えられます。
ただし、海外のクラブの中には自国の選手を優先する方針のところもあるので、話題になったからといって三笘選手の移籍がうまく行くかどうかは未知数です。
まとめ
1三笘選手は大分生まれ。おそらく親御さんがサッカーに最適な環境を探して川崎市に引っ越してきたと考えられる。
2有馬中学校、橘高校、筑波大学とサッカーを両立させながら生活していた。いきなりプロを目指さなかったのは、サッカーの経験値を積むことと現役生活以降のことも見据えた冷静な判断によるもの。
3大学時代もチームメイトに恵まれ、サッカーのレベルも格段に上がっていった。周囲の状況を瞬時に判断してボールを運んでいく冷静さがすごい。
4三笘薫選手の得点により天皇杯で優勝。J1でも勝利を収めるなど絶好調の川崎フロンターレ。今後も年俸額アップは間違いなし。
5素晴らしいプレーは日ごろの練習とイメージトレーニングのおかげでもある。
ここまでご覧いただきありがとうございます。
三笘薫選手はサッカーに打ち込めるような環境に飛び込み、そのまま自分の特性を信じて進んだ結果現在のポジションについたといえますね。
今後も年俸は上がるでしょうし、三笘選手は川崎フロンターレの守護神として活躍するはずです。